時代とともに、従業員とともに進める、着実な一歩。移動販売の利点を活かしながら、効率と利益を見据えた商品を展開。
取締役総括部長 大島 俊行氏
家族で築いてきた店の歴史
昭和30(1955)年、新潟県十日町市。創業者大島又五郎氏は、勤め人でありながら45歳の時に大又食品を開業した。その後、息子の賢一さんが同社の跡を継ぎ、その妻で現社長の喜久代さんとともに家内工業で店を切り盛り。まだパックの豆腐も普及しておらず、大型スーパーも少なかった頃、2人は背中に重い桶を背負って、雪の降る中、取引先の店を一軒一軒歩いて回ったという。お昼に食べたラーメンの美味しさ、トボトボと賢一さんを追った遠い記憶に目を細める。平成2(1990)年に移転し、現在の場所で営業を開始。平成20(2008)年に賢一さんが他界。喜久代社長が引き継ぎ、息子の俊行さんが主に製造を担当している。
ピンチを切り抜けるためのカギ
「いい素材を使って、本当においしい豆腐を作りたい」という一心で、喜久代社長はひたすらに奮闘してきた。平成10(1998)年頃からは、高齢者やお店の少ない地域の人々のために、車での移動販売を開始。それに加え、スーパーや学校、介護施設などにも商品を納めるなど事業を展開してきた。
これまで最も悩まされたのは、十日町に県外大手メーカーが台頭してきた時期だった。「価格面では太刀打ちできない。私の力不足もあって売り上げが思うように上がらず、借り入れの返済もきつくなってきたことがありました」と喜久代社長は振り返る。そんな時、苦しい様子を心配した取引先金融機関が、新潟県信用保証協会を紹介。経営に関するさまざまなアイデアやヒントを得ることができたという。
その一言が改善策につながった
「協会さんにはいろんなアドバイスをもらいましたが、一番は『どの商品がどれだけ利益を出すか把握していますか?』という言葉。これを教わったことは大きいです」と部長の俊行さん。今までやってこなかった、品揃えと利幅を見直す作業を行い、移動販売のスタッフと共有することで、よりお客様の要望にも応えられるようになったという。また従業員の意見を聞くことの大切さを知り、今まで以上に販売スタッフとの連携も密に。それ以来、状況は徐々に回復していった。また最近では、豆腐を作る過程でできるおからを利用した「もめんシェイク」や「豆乳おからドーナツ」など俊行さんの奥様を中心にしたアイディア商品もショップにて販売している。
「協会さんは親身になって話を聞いてくれる。もっとお付き合いして、いろいろ勉強させてもらいたいです」と笑う喜久代社長。これからも、大切な店を守り続けていく。
新潟県信用保証協会のサポート〈 株式会社 大又食品の場合 〉
利益に関する問題点を洗い出し、底上げを後押し。
1/相談のきっかけ
大手メーカーの進出、売り上げの伸び悩みなど経営不振が続き、借り入れ金の返済もだんだん厳しくなりお困りでした。
↓
取引のある金融機関の担当者様が当協会の経営支援メニューを紹介して下さり、担当者が会社に出向いてお話を伺いました。
2/課題
移動販売の強化
大又食品様では売り上げの約7割を占める移動販売。自社製品を扱うだけではなかなか売り上げが伸びず悩んでいました。
社員との接点がない
工場で製造を担当する俊行さん。移動販売で外を回るスタッフと時間が合わず、会話する機会がほとんど取れていなかったといいます。
3/解決策
品揃えと利益を見直して効率よく
お客様のニーズに合わせ、自社商品のほかに外から仕入れた商品も移動販売に加えることをおすすめしました。また、どの商品が利益を出しやすいか分析し、販売担当スタッフにも共有。1週間ごとに商品内容を変更し、お客様を飽きさせないような工夫も凝らしています。
連絡ノートの導入
移動販売のスタッフがその日の出来事やお客様から受けたご要望など、何でも書き込める連絡ノートの作成を提案しました。俊行さんの奥様がコメントを取りまとめ、俊行さんとスタッフ間の橋渡し役に。スタッフの生の声を聞くようになりました。
成果
連絡ノートをきっかけに販売スタッフの生の声を事業に反映することが出来ました。社長より「今までの目線とは違う役立つアドバイスをもらえた」とのひと言をいただくことができました。
株式会社 大又食品
創業1955年 十日町市川治984
創業65年を誇る豆腐製造・販売業。卸売部・移動販売部を擁し、十日町市を中心としたスーパーや学校給食に商品を納めるほか、小千谷、柏崎、南魚沼、津南町、上越まで、5台の販売カーを稼働しての移動販売を行っている。近年は工場併設の直売所で販売するもめんシェイク、豆腐おからドーナツなども話題に。従業員数10名。